茶色の波がさらっていった「いつか」――暗闇のカレーライスと、アラ還男の遠回りな決意

経験談
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こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」の雅栄(がえい)です。

2011年3月11日、東日本大震災。
あの長い夜を越え、翌朝ようやく自宅へ戻った私を待っていたのは、一週間にわたる停電という、静かで不自由な日々でした。

夜になると、ろうそくと懐中電灯の細い光を頼りに、家族で食卓を囲みました。
完全に断水せず、蛇口をひねるとチョロチョロとでも水が出たのと、プロパンガスが使えたのは、不幸中の幸いだったと思います。

母は「冷蔵庫のものが悪くなる前に」と言いながら、黙々とカレーを煮込んでいました。
特別な材料があるわけでもありません。ただ、あり合わせの具を煮込んだだけの、ごく普通のカレーです。

それなのに――
あのとき食べたカレーライスの温かさは、今もはっきり覚えています。
冷えきった体よりも、どこかで固まっていた心の奥を、そっとほぐしてくれたような気がしたのです。

画面の中で消えていった、懐かしい街

震災から約一週間後に電気が復旧し、久しぶりにつけたテレビのスイッチ。
そこに映し出された映像を見た瞬間、私は言葉を失いました。

画面にあったのは、宮城県志津川町――今の南三陸町。
幼い頃から、夏休みになるたびにお墓参りで訪れていた、あの静かな街でした。

見慣れたはずの景色が、茶色の濁流にのまれ、家も車も、まるで紙細工のように流されていく。
「あんなに穏やかな場所だったのに……」
気がつくと、涙が止まらなくなっていました。

そこにあった暮らしや、積み重ねられてきた時間を思うと、現実を受け止めるには、あまりにも心の準備が足りなかったのです。

「いつか」は、案外あてにならない

あの津波の映像は、私の中にあった甘さを、一気に洗い流してしまいました。

当時の私は、サラリーマンとして働きながらも、
「向いていないな」と思いつつ、
「まあ、定年まではこのままだろう」と、どこかで自分をごまかしていました。

けれど、あの日、突きつけられたのです。
人生は、こちらの都合など待ってくれない、という当たり前の事実を。

「いつかやろう」
そう思っているうちに、その“いつか”ごと消えてしまうこともある。
その可能性を、私は初めて、はっきりと意識しました。

失敗する不安よりも、
何も挑戦しなかったまま時間が過ぎていくことのほうが、
ずっと怖く感じられたのです。

11年かけて育てた、静かな決意

震災をきっかけに、私は「いつか独立したい」という思いを、心の片隅ではなく、胸の中央に置くようになりました。

とはいえ、すぐに会社を辞める勇気があったわけではありません。
実際に個人事業主になったのは、震災から11年後の、2022年の夏でした。

ずいぶん遠回りをしたものだと思います。
それでも、その長い年月を折れずに過ごせたのは、
「あのとき感じた後悔だけは、二度としたくない」
という気持ちが、心の奥に楔のように打ち込まれていたからだと思います。

もし震災がなければ、私は今も、どこかのオフィスで溜息をつきながら、
自分に小さな嘘をつき続けていたかもしれません。

🔑 完璧ではないけれど、前を向いて

東日本大震災は、多くのものを奪っていきました。
同時に、「当たり前の日常」がどれほど尊いものかを、静かに教えてくれた出来事でもありました。

ろうそくの光で食べたカレーライス。
蛇口から、チョロチョロと出る水のありがたさ。

そんな小さな幸せを噛みしめながら、私は今も、次の一歩を考えています。
来年、2027年には、小さな会社――合同会社を立ち上げたい。
震災から15年という節目に、その思いを、改めて胸に刻みました。

人生には、どうしても避けられない波がやってきます。
あの日、私も確かに、絶望の淵に立っていました。

それでも、どんなにゆっくりでも前を向いていれば、
いつか、ほんの少し光の差す場所へ辿り着ける。
今の私は、そう信じています。

「こんな私でも、何とか今日も生きている。」

三回にわたる震災の記録を、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回からはまた、いつもの「ほぼ引きこもり」な日常の景色に戻ろうと思います。
よろしければ、また、ふらりとお立ち寄りください。

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