こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」の雅栄(がえい)です。
私の暮らす宮城県白石市は、派手さこそありませんが、川は静かに流れ、蔵王連峰は黙って空を支えています。
まるで「騒がなくても、ちゃんとここにいる」とでも言うように。
そんな町に住みながら、私はこれまで観光名所らしい場所へほとんど足を運んできませんでした。
ほぼ引きこもり、という肩書きは伊達ではありません。
ところが、ここを拠点に生きていこうと腹をくくった途端、妙な疑問が湧いてきました。
――自分は、この足の下にある地面のことを、ほとんど知らないのではないか。
そう思った瞬間、窓の外の景色が少しだけ変わりました。
昨日までただの風景だったものが、急に「何かを隠している顔」に見えてきたのです。
■ 白い石という、小さな謎
「白石」という地名。
ただの石ではなく、なぜ“白い”のか。
この問いは、私の頭の中でしつこく居座り始めました。
遠い昔、誰かがこの土地を見つめ、何かを感じ、そう名付けたはずです。
そこにはきっと、伝説か、あるいはちょっとした出来心か、もしかすると歴史の陰に隠れた小さな事件があったのかもしれません。
白石城の初代城主、片倉小十郎。
主君・伊達政宗を支え続けた名参謀。
そして、大坂夏の陣では真田幸村と奇妙な縁で結ばれた人物。
教科書の中の出来事が、いま自分が歩いている道のどこかで起きていた。
そう考えると、不思議と背筋が伸びます。
私のような者が同じ地面を踏んでいていいのだろうか、と少しだけ恐縮もします。
「うーめん」や「こけし」も、最初から名物だったわけではないはずです。
誰かが考え、誰かが作り、誰かが続けた。
蔵王の山も、昔の人にとっては畏れの対象だったのか、それとも頼れる守り神だったのか。
考え始めると、止まりません。
■ 北の大地へ続く足跡
正直に言えば、地元の歴史に詳しいとは言えません。
戦国時代の片倉公のことは多少知っていても、幕末の動乱の中で白石の人々が何を思い、どんな選択をしたのかは、まだ霧の中です。
けれど一つだけ、胸に残っている話があります。
明治維新の後、片倉家の一部の人々が北海道へ渡り、今の札幌市白石区を開拓したという話です。
故郷を離れ、見知らぬ北の大地へ向かった人々。
その決断の夜、彼らは何を考えていたのでしょう。
不安か。
覚悟か。
それとも、「やるしかない」という、静かな諦めだったのか。
図書館の郷土資料や、博物館の片隅には、教科書には載らない声が眠っている気がします。
私はその声を、こっそり拾ってみたいのです。
■ 先人の底力を、少しだけ
歴史を知ることは、知識を増やすことではないのかもしれません。
東日本大震災を経験した一人として、この土地が何度も試練に晒されてきたことは想像できます。
地震、津波、飢饉、合戦。
それでも町は消えず、人は暮らし続けました。
きっと誰かが、
「もうだめだ」と言いながら、次の日には立ち上がったのでしょう。
その底力を、ほんの少しでいいから分けてもらえたら。
そんな気持ちで、私は過去をのぞき込みます。
「こんな私でも、何とか今日も生きている。」
地元の歴史を紐解くことは、遠くへ出かけなくてもできる時間旅行です。
窓辺に座ったまま、何百年も前へ行けるのですから、これはなかなか贅沢な話です。
白い石は、まだ何も語りません。
けれど、耳を澄ませば、いつか小さな声が聞こえるかもしれません。
その日まで、私は窓越しに、この町を見つめていようと思います。

