雪が降る光景を、私は忘れない。――仙台のオフィスで、ただ震えていた午後2時46分

経験談
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こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」を書いている、雅栄(がえい)です。

2026年3月11日。
あの日から、気がつけば15年という時間が経ちました。

2011年3月11日、午後2時46分。
私はまだサラリーマンで、仙台にある会社のオフィスにいました。六階建てのビルの二階。会議の準備をしながら、いつもと何一つ変わらない午後を過ごしていた……はずでした。

その「いつも」は、次の瞬間、音を立てて壊れました。

窓の外で、世界が壊れていく

これまでの人生で、あれほど激しい揺れを体験したことはありません。
反射的に机の下へ潜り込み、揺さぶられる体を押さえるだけで精一杯でした。

ゴーッという、地鳴りのような低い音。
その音に包まれながら、ふと窓の外へ目を向けた私は、自分の視界を疑いました。

向かいのビルの外壁が、まるで乾いた紙細工のように、はらはらと崩れ落ちていったのです。

「これは……普通じゃない」

そう思った瞬間、揺れはさらに強くなりました。
棚からは書類や備品が一斉に落ち、床はあっという間に足の踏み場を失いました。どれくらい揺れていたのか、正確な時間は覚えていません。ただ、終わりが来ないのではないか、そんな感覚だけが体に残っています。

揺れがようやく収まったあと、廊下の壁には大きな亀裂が走っていました。
一階に降りても、停電で自動ドアは沈黙したまま。同僚たちと力を合わせ、人の手でこじ開けて、ようやく外へ出ることができました。

季節外れの雪と、静かな列

外に出ても、地面はまだ不安定に揺れていました。
余震が来るたび、誰もが言葉を失い、ただ顔を見合わせるだけ。

そのときです。
空から、ひらひらと白いものが舞い落ちてきました。

雪でした。
三月とはいえ、あまりに場違いな雪に、現実感がさらに薄れていったのを覚えています。まるで、世界の季節そのものが狂ってしまったようでした。

信号は消え、街は少しずつ暗くなっていきました。
「今日は、もう帰れないな」
そう思い、同僚と近くのコンビニへ向かいました。

店内は停電で薄暗く、それでも人は静かに並んでいました。
誰一人、声を荒げることなく、黙々と列を作っている。その光景が、今でも不思議なほどはっきりと残っています。

レジが使えないため、店員さんが電卓を叩きながら一人ずつ対応していました。
カチ、カチ、と響く電卓の音だけが、静まり返った店内に漂っていました。

混乱の真っただ中で見たその「静けさ」に、私はなぜか救われた気がしたのです。

つながらない声と、長すぎる夜

本当の怖さは、そのあとにやってきました。
電話もメールも、すべてが途絶えました。

他県に出張していた同僚の安否も分からない。
そして何より、古い木造の実家にいる家族と、まったく連絡が取れない。

あの家は、あの揺れに耐えられただろうか。
家族は、今どこで、どうしているのだろうか。

ろうそくの灯りだけのオフィスの中で、声にならない問いが、胸の内を何度も行き来しました。
誰にも届かない心配を抱えたまま過ごす夜は、あまりにも長く、静かでした。

あの日、私は「そこにいただけ」

2011年3月11日。
日常は、一瞬で色を失いました。

今回書いたのは、地震発生から直後まで、私が見て、感じたままの記憶です。
特別な行動をしたわけでも、立派な判断をしたわけでもありません。ただ、そこにいて、揺れに耐え、時間が過ぎるのを待っていました。

次の記事では、停電の中で迎えた夜のこと、初めて目にした津波の映像、そしてこの出来事が、私のものの見方をどう変えていったのか。
そんな内側の変化を、少しずつ書いていこうと思います。

「こんな私でも、今日まで何とか生きている」

15年という節目に、あの日を静かに思い返す。
それが、今の私にできる、ささやかな祈りなのかもしれません。

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