日本酒一合と、電卓の音。凍える応接間で私が見つけた「小さな光」

経験談
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こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」の雅栄(がえい)です。

前回の記事では、2011年3月11日、仙台のオフィスビルで遭遇した、あの大きな揺れについて書きました。
今回は、その揺れが収まったあと、私がどこで、どんな夜を過ごしていたのか。
凍える寒さの中で、心が右往左往していた時間のことを、少しだけ思い出してみようと思います。

帰れない夜、ラジオから流れてきた断片的な世界

地震のあと、停電で電車は完全に止まってしまいました。
帰ろうにも、帰る手段がありません。

同じように帰宅困難になった同僚たち数人と、私たちはオフィスの応接間に集まりました。
外では、季節外れの雪が降っていました。
暖房の切れた室内は、時間が経つほど、じわじわと冷え込んできます。

倉庫から引っ張り出してきた古いラジカセ。
電池が切れるまでの、細い命綱のようなラジオからは、
被害状況を伝える断片的な情報が、途切れ途切れに流れてきました。

コンビニで手に入れた、わずかなつまみと日本酒。
一合にも満たない量を、皆で少しずつ分け合いました。
あのとき喉を通ったお酒の美味しさは、
体というより、固まっていた心を、ゆっくり溶かしてくれた気がします。

余震が来るたびに、私たちは顔を見合わせ、廊下へ出ました。
いつ、この建物がどうなるかは分からない。
そんな緊張感の中で、
不思議なことに、私は一時的に実家のことを考えなくなっていました。

薄情なのかもしれません。
でも、人は目の前の状況に必死になると、
考える余裕そのものを失ってしまうものなのだと、
あとになって思いました。

暗闇の中で、確かに見えたもの

夜の間にも、何度も外へ避難しました。
オフィスビルの外には、不安を抱えた人たちが集まっていましたが、
そこには奇妙なほど、静かな空気が流れていました。

立ち寄ったコンビニでも、同じでした。
停電で薄暗い店内。
長い列ができていましたが、
誰一人、声を荒らげる人はいません。

レジの店員さんは、電卓を叩きながら、必死に対応していました。
その「カチカチ」という音だけが、やけに耳に残っています。
極限の状況でも、人は秩序を手放さない。
その光景が、なぜか胸に焼きつきました。

夜明けとともに、ようやく戻ってきた声

長い夜が明け、窓の外が白み始めた頃、
ようやく電気が戻りました。

最初にしたのは、家族への電話でした。
古い木造の実家は無事だったのか。
皆は、どうしているのか。

受話器の向こうから聞こえてきた、
いつもと変わらない声。
その瞬間、胸の奥に沈んでいた重たいものが、
すっと消えていくのを感じました。

「ああ、無事だったんだ……」

東京の仲間とも連絡が取れ、
応接間にいた全員が、どこか力の抜けた表情になっていました。

送ってもらった道と、長い列

その少しあとで、
夜中に事業所へ辿り着いた同僚が、声をかけてくれました。

「よかったら、送りますよ」

彼は、遠回りになるのを承知で、
私を自宅近くまで車で送ってくれました。

道中、ガソリンスタンドに並ぶ、延々と続く車の列。
それを眺めながら、
これは簡単には終わらない――
そんなことを、ぼんやり考えていました。

それでも、誰かの好意に身を預けられることが、
あのときは、ただありがたかったのです。

凍える夜に見えた、小さな光

あの夜、私が見たのは、
ただの混乱や恐怖だけではありませんでした。

人々の冷静さ。
黙って順番を守る姿。
さりげなく差し出される手。

それらは、絶望的な状況の中に、
確かに差し込んでいた、小さな光だったのだと思います。

2011年3月11日の夜。
凍える応接間で過ごした時間は、
「当たり前の日常」がいかに脆く、
「人とのつながり」がいかに尊いかを、
静かに教えてくれました。

次回はいよいよ、この震災シリーズの【最終回】です。
あの日のあとに目にした津波の映像が、
私の人生観をどう変えてしまったのか。
そして、15年が経った今、
それでもなお私が抱いている、小さな希望について書くつもりです。

「こんな私でも、何とか今日も生きている。」

あの日、凍える夜を共に過ごした仲間たちの顔を思い浮かべながら、
今日も私は、静かな感謝とともに過ごしています。

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