会議室での沈黙が、私の自己肯定感を削った日。サラリーマン時代のしくじり列伝②

経験談
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こんにちは。
雅栄(がえい)です。

前回の記事では、私が日々の仕事でどのように生成AIと向き合い、壁打ち相手として活用しているかについてお話ししました。不器用なりに、新しいツールに助けられながら一人仕事を営んでいます。

今日は、少し時間を過去に戻して、私のサラリーマン時代の苦い記憶……「しくじり列伝」の第2弾を書いてみようと思います(第1弾)。 テーマは、会議室での沈黙についてです。今振り返っても、当時の私にとっては本当に息が詰まるような、苦しい時間でした。

私にとって、会議室はひどく居心地の悪い場所だった

組織に属していた頃、私にとって会社の会議室という空間は、まるで自分の実力を試され、値踏みされる場所のように感じられてなりませんでした。

人見知りでコミュ障を自認する私にとって、そもそも大勢の人の前で自分の意見を発言すること自体が、非常に高いハードルでした。それが「会社としての的確な意見」や「鋭い指摘」を求められる公式な会議ともなると、始まる前から胃がキリキリと痛むような思いでした。

「何か発言をしなければ、やる気がないと思われるのではないか」

「でも、こんなことを言ったら的外れだと笑われるかもしれない」

「もっと気の利いたことを言わなければ……」

そんな思考ばかりが頭の中でぐるぐると空回りしてしまい、結局のところ、会議中はずっと手元の資料に視線を落としたまま、ひたすら「沈黙」を守ることでその場をやり過ごしていました。

沈黙のたびに、自分で自分に烙印を押していた

視線を上げれば、周りの同僚や上司たちは、実になめらかに、そして活発に意見を交わしています。そんな熱気の中で、ただ黙って座っているだけの自分。その対比が、とにかく辛かったのです。

時折、上司から「雅栄さんはどう思う?」と、不意に意見を振られることもありました。 そんなとき、緊張のあまり頭が真っ白になってしどろもどろの返答をしてしまったり、最悪の場合は言葉が詰まって何も言えずに沈黙してしまったり……。

会議が終わって自席に戻るたび、私は激しい自己嫌悪に襲われていました。

「自分は、この組織に必要とされていないのではないか」

「会議で一言も発言できないなんて、社会人として失格だ」

周囲からどう思われているか以上に、自分自身が自分に対して「ダメな人間だ」と烙印を押しているような感覚でした。会議室でのあの沈黙の時間は、私の自己肯定感を少しずつ、でも確実に削り取っていった深い傷のようなものでした。

組織を離れ、自分の歩幅で生きるということ

自分のペースで仕事を進められないこと、社内の複雑な人間関係にうまく馴染めなかったこと、そして常に数字やノルマに追いかけられること。 そうした様々な要因に限界を感じ、私は最終的にサラリーマン生活に区切りをつけ、個人事業主という生き方を選びました。

現在の働き方を選んでからは、誰かに強制されて会議に出ることも、その場で無理に発言を求められることもありません。自分の責任のもとで、自分の歩幅で仕事を進めることができています。

当時は本当に苦しくて、逃げ出したい一心でしたが、あの会議室での深い挫折やしくじりの経験があったからこそ、私は「自分に合った生き方はこれではない」と気づき、今の在宅ワークという穏やかな日常にたどり着くことができたのだと思います。

過去の傷も、今の自分を支える大切な道標になっている。少し古びたマグカップを傾けながら、今はそんな風に思っています。

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