こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」を書いている、雅栄(がえい)です。
このブログでは、アラ還になった私の日常や、個人事業主としての働き方などを、なるべく正直に書いています。
で、最近あらためて気づいたことがあります。
どうやら私は、なかなか筋金入りの完璧主義者らしいのです。
しかも厄介なことに、この完璧主義は「仕上げの段階」ではなく、スタート地点で顔を出します。
新しいことを始めようとした瞬間、ひょっこり現れて、こう囁くのです。
「どうせやるなら、完璧にしなさいよ?」
……この一言が、重い。
■ 完璧を目指した結果、立ち止まる私
たとえば、社員研修の講義資料を作るとき。
「分かりやすくて、網羅的で、誰が読んでも納得する完璧な資料を作りたい」
気持ちは立派です。
ところが、その“完璧な資料”のハードルがあまりにも高すぎる。
どこから手を付ければいいのか分からない。
気づけば資料作成より、コーヒーを淹れる回数のほうが増えている。
そして最終的にどうなるかというと、
締め切り直前で慌てて作る──いつものパターンです。
情けない話ですが、これが現実です。
■ 未来を考えると、さらに動けなくなる
将来の夢として、合同会社の設立も考えています。
が、ここでも完璧主義は容赦なく出張ってきます。
「本当に事業は成り立つのか?」
「失敗したらどうする?」
「勝算は? 再現性は?」
……はい、出ました。
頭の中で始まる脳内シミュレーション地獄。
完璧な成功が保証されない限り、体はピクリとも動きません。
要するに私は、不完全な未来が怖いのです。
■ 現実は、だいたい「なんとなく」でできている
でも、少し冷静になって考えてみました。
仕事も人生も、
本当に「完璧な計画」から始まったものなんて、どれくらいあるでしょうか。
多くのことは、
- なんとなく始まり
- なんとなく続き
- なんとなく形になる
だいたい、そんなものです。
むしろ大事なのは、完璧かどうかより、完了すること。
「まずやってみること」です。
■ 「なんとなく」でいいじゃないか
完璧主義の人間にとって、
「なんとなくでいい」という言葉は、ほとんど革命です。
完璧を目指して立ち止まるより、
「とりあえずここまで」で一度、形にしてみる。
小さく始めて、あとで直せばいい。
ブログ記事だって同じです。
最近の私は、AI(Gemini)と壁打ちしながら、
完璧な構成を目指すのをやめました。
「なんとなく書いてみる」
これだけで、ずいぶん楽になります。
■ 不完全でいい、失敗していい
私の心を支えている言葉があります。
「自分も不完全、相手も不完全」
「日々はつねにぶっつけ本番。失敗があって当然」
(by ゲッターズ飯田さん)
そう、人間は最初から不完全。
失敗しても、それは失格ではありません。
■ 完璧主義を手放して得たもの
完璧主義を少し手放すだけで、世界はだいぶ軽くなります。
- 行動が早くなる
- 心が軽くなる
- 新しいことに挑戦しやすくなる
もちろん、仕事では一定の質は必要です。
何でもかんでも「なんとなく」でいいわけではありません。
でも、全部を完璧にしようとしない。
このバランスが、私にはちょうどいい。
「こんな私でも、何とか今日も生きている。」
「なんとなくでいいじゃないか」という考え方は、
完璧じゃない自分と付き合っていくための、
静かで、ささやかな自己肯定なのです。


