こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」の雅栄(がえい)です。
四年前、五十四歳で会社を辞めました。
今思えば、あれは「英断」などという立派なものではなく、単に続けられなくなった、というのが一番正確な表現かもしれません。
会社員時代を振り返ると、胸を張れる成功談は、残念ながらあまり見当たりません。
その代わり、天井を見つめてため息をついていた記憶なら、いくらでも思い出せます。
もっとも、その天井も、必ずしも自宅のものとは限りませんでした。
車の天井は、意外と見飽きない
最初につまずいたのは、一社目の営業職です。
人見知りで、会話が得意とは言えない人間が営業職に挑戦するあたり、我ながら、なかなか大胆な選択だったと思います。
私はよく、人目につかない場所に車を止めていました。
シートを倒し、運転席の天井を見上げる。気がつくと、泣いていることがよくありました。苦しさ、哀しさ、切なさなどが折り重なった感じです。でも、あの無地の天井には、不思議と安心感があった覚えがあります。
逃げたい気持ちと、逃げてはいけない気持ちが、車内で静かに同居していました。
そのうち、どちらが勝ったのかは、ご想像にお任せします。結果として、私はその職場から、かなりあっさり姿を消しました。
今なら分かります。
向いていない場所に長く居続けると、人は「頑張る前に壊れてしまう」ということを。
東京の空は高く、請求書は容赦なかった
もう一つ、忘れがたいのが借金の話です。
東京転勤をきっかけに、私は見事にお金の扱いを間違えました。
仕事の疲れを、遊びや買い物でごまかす。
その場では少し楽になるのですが、翌月になると、きちんと請求書がやって来ます。彼らは実に律儀です。
気づけば借金は数百万円。
あの頃の私は、「現実逃避にも利息がつく」という、当たり前の事実を知りませんでした。
その後、どん底を経験してから、お金との付き合い方をようやく学びました。
今も支出を厳しく管理していますが、それは立派だからではなく、単に怖いからです。人は、怖い思いをしたことだけは、なかなか忘れません。
「面白みがない」と言われても
若い頃、「白けている」「何を考えているのか分からない」と言われたことがあります。
人見知りが原因だったのでしょうが、当時はそれなりに傷つきました。
もっとも、今思えば、無理に面白い人間になる必要もなかったのだと思います。
世の中には、面白い人がすでに大勢います。そこに割り込むのは、なかなか大変です。
二社目では、少しだけ開き直りました。
全員に好かれなくてもいい。分かってくれる人が、ほんの数人いれば、それで十分。そう考えるようになってから、仕事は少し楽になりました。
🔑 失敗は、あとから効いてくる
当時は、人生が終わったような気分になる失敗ばかりでした。
けれど、時間が経ってから振り返ると、それらは今の生活を支える「注意書き」になっている気がします。
同じ失敗を繰り返さないための、小さなメモのようなものです。
過去を思い出して、ため息が出る日もあります。
それでも、その失敗があったから、今の静かな生活がある。そう考えると、すべてを悪者にはできません。
「こんな私でも、何とか今日も生きている。」
車の天井を見つめていた男は、今、パソコンでこうして文章を書いています。
人生というのは、案外しぶとく続くものだなと、ときどき思います。

