こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」の雅栄(がえい)です。
前々回の記事では、アラ還で個人事業主になった「こんな私」が、どうにか今日も生きている理由について書きました。
書き終えたあと、ふと思ったんです。
――ああ、そういえば。
私の人生には、どうも世間で言うところの
「これが大好きです!」
「これを一生やりたいです!」
というものが、見当たらない。
若い頃は、それが少しだけ寂しくもありました。
「好きなことを仕事に」なんて言葉を聞くたびに、
「……あれ? 私、何をやればいいんだろう」と、心の中で小さく首をかしげていたものです。
でも今は、こう思っています。
――まあ、それが私なんだろうな、と。
「好き」はなくても、「知りたい」は残っていた
不思議なことに、
「これが好き!」という情熱はなくても、
「これ、どうなってるんだろう?」
という気持ちは、今もちゃんと残っていました。
むしろ、アラ還になってからの方が、
その感覚は静かに、でも確実に強くなっている気がします。
誰かに言われたわけでもありません。
資格が必要なわけでもありません。
昇進も、人事評価も、もうありません。
それでも私は、今日も何かを調べ、何かを学んでいます。
理由は簡単です。
――知りたいから。
この「知りたい」という感覚は、
炎のように激しく燃え上がるものではありません。
どちらかと言えば、
線香花火の火種のような、小さくて静かな炎です。
でも、消えない。
私の学びは、少し雑多で、かなり気まぐれ
今の私が触れている分野は、正直、統一感がありません。
・仕事では、研修のトレンドや生成AI
・日常では、YouTubeで都市伝説や宇宙の話
・気が向けば、資産運用や健康の本
・AIに向かって、どうでもいい質問を投げてみたりもする
傍から見たら、
「いったい何を目指しているんですか?」
と聞かれそうです。
でも、私自身も答えられません。
――別に、目指してないんですよね。
ただ、
「これ、ちょっと面白そうだな」
「知らないままなのは、もったいないな」
それだけです。
ほぼ引きこもり生活ですから、学びの場所はほぼ自宅。
YouTube、読書、そしてAI。
移動時間も、人の目もありません。
この気楽さが、学びを続けられる一番の理由かもしれません。
アラ還の学びは、「あとから意味が出てくる」
正直に言えば、
若い頃のように、スパッと覚えられるわけではありません。
「あれ? さっき読んだはずなのに……」
そんなことは、日常茶飯事です。
でも、その代わり。
――あ、これ、あの時の話と繋がるな。
――昔の失敗、こういうことだったのか。
そんなふうに、
点だった知識が、ある日ふっと線になる瞬間があります。
これは、若い頃にはなかった感覚です。
学びが、成果や評価のためではなく、
自分の人生を少しだけ理解するための作業になっている。
そんな感じがしています。
「好き」がなくても、人生はちゃんと動く
最近、私はこう思うようになりました。
「好き」がなくても、
「情熱」がなくても、
人生は案外、ちゃんと前に進む。
必要なのは、
「ちょっと知りたい」
「少しだけ気になる」
その程度の気持ちで十分なんじゃないか、と。
完璧じゃなくていい。
途中で飽きてもいい。
役に立たなくても、別に困らない。
それでも、何かを知るたびに、
世界はほんの少しだけ広がります。
「こんな私でも、何とか今日も生きている。」
都市伝説も、AIも、学び直しも。
すべては、私の人生を劇的に変えるためではなく、
今日を少しだけ面白くするために、ここにあります。
それで十分です。
今のところ、それで困ることは、なさそうです。


