人見知り、コミュ障。六畳間の「ほぼ引きこもり」と社会の、ほどよい距離

人間関係
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こんにちは。

「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」の雅栄(がえい)です。

いきなりで恐縮ですが、私は人見知りです。
それも、なかなか筋金入りの。

人見知り、コミュ障、出不精。
三拍子そろっているくせに、なぜか個人事業主をやっています。
人生、わからないものです。

このブログでは、そんなアラ還個人事業主の「ほぼ引きこもり」な日常を書いていますが、改めて振り返ってみると、この生活スタイルは、案外、私の性格に合っている気がします。

会社員だった頃は、人間関係という名の見えない満員電車に、毎日ぎゅうぎゅう詰めで乗っているような感覚でした。
今はどうかというと、六畳間発、終点・自分、みたいな各駅停車。
だいぶ静かです。

そのおかげで、心はずいぶん穏やかになりました。

とはいえ、「人とのつながり」と聞くと、どうしても思い浮かぶのは、にぎやかな飲み会や、広い交友関係。
正直に言います。
私には、ちょっと荷が重い。

でもだからといって、社会と完全に縁を切っているわけでもありません。
今回は、人付き合いがあまり得意ではない私が、どんな距離感で社会とつながっているのか
その「緩やかさ」について書いてみようと思います。

私なりの「緩やかなつながり方」三つの形

私の社会との接点は、とてもシンプルで、そして最小限です。

① 仕事上の「必要最低限の接触」

個人事業主として、社員研修の企画や提案営業をしています。
週に平均すると、外で人に会うのは2回ほど。

ここでの私のモットーは明快です。
「会わないと進まない話のときだけ、会う」

それ以外は、できればメールか電話で済ませたい。
これは怠けではなく、性格です(笑)。

対面の場では、人見知りなりにちゃんと「社会用の自分」を出します。
感謝を伝え、相手の話を聞き、質問をする。
いわば短時間限定の舞台公演です。

それでも、仕事を通じて「社会の役に立っている」と実感できる瞬間は、私にとって大切なつながりです。

② 家族という「無言でも成立する関係」

私は独身で、実家で両親と暮らしています。

深い相談を頻繁にするわけでもありませんし、毎日語り合うわけでもありません。
でも、同じ屋根の下に誰かがいる。
それだけで、不思議と心は落ち着きます。

過去に迷惑もかけました。
だから今は、毎月少しですがお金を渡すことで、「ありがとう」と「つながっていますよ」を表現しています。

言葉が少なくても成立する関係。
これも、私にはちょうどいい距離感です。

③ 地元での「挨拶だけの交流」

コンビニ、散歩道、すれ違う人たち。

「こんにちは」
それだけで会話は終わります。

でも、その一言があるだけで、私はまだ社会の外に完全に出てしまったわけじゃない、と感じられるのです。
この“薄いけれど確かな接点”が、案外、効いています。

「ぼっち」だけど、「不幸」ではない

客観的に見れば、私の生活はぼっちです。
一人の時間が、圧倒的に多い。

でも私は、この孤独を、悪いものだとは思っていません。
むしろ、自分の呼吸が聞こえる、大切な時間です。

無理に輪に入らない。
無理に明るくならない。
自分が心地よい距離で、人とつながる。

それが、人見知りでコミュ障な私が、社会と折り合いをつける方法なのだと思います。

🔑 自分の場所から、そっとつながる

人見知りは、たぶん治りません。
これからも、人付き合いが得意になることはないでしょう。

でも、それでいい。

仕事で社会と関わる。
家族という基盤がある。
近所で挨拶を交わす。
そして、このブログで、誰かと静かに共感する。

それだけで、十分です。

「こんな私でも、何とか今日も生きている。」

六畳間から見る社会との距離は、少し遠くて、でも安心できる。
私はこれからも、この場所で、自分のペースでつながっていくつもりです。

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