🚶 ほぼ引きこもり生活が生み出す「外界とのギャップ」
こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」の雅栄(がえい)です。
ブログタイトルにも書いている通り、私はいわゆる
「ほぼ引きこもり」の生活を送っています。
仕事は自宅が中心。
人と直接会うのは、週に数回あるかないか。
気づけば、家の中の空気のほうが、外の空気より馴染み深くなっていました。
とはいえ、完全に外界と縁を切っているわけではありません。
毎日一度は、買い出しを兼ねて外に出ます。
宮城県白石市。
沢端川沿いを歩いたり、小学校の真向かいにあるミニストップまで往復したり。
この短い距離が、私にとっての「社会との接点」です。
そんな生活を続けていると、
外に出た瞬間、妙な違和感や発見に出くわすことがあります。
「ああ、これはきっと、
ほぼ引きこもりならではの感覚なんだろうな」
今回は、そんなささやかな外出あるあるを、少しだけ書いてみます。
外の空気を、毎回「吸いすぎる」
家を出ると、まず思います。
「……空気、うまっ」
晴れた日の朝などは特にそうです。
深呼吸をすると、胸の奥まで一気に空気が入ってきて、
体が半ば強制的に目を覚ます。
毎日のことなのに、なぜか毎回新鮮。
「外の世界と、ちゃんと繋がってるな」と、妙に安心します。
ふつうの人たちが、ドキュメンタリーに見える
通勤途中の会社員。
ランドセルを背負った小中学生。
ゆっくり歩く散歩中のお年寄り。
どれも、ごく当たり前の光景です。
でも、家の中にいる時間が長いと、
その「当たり前」が、ちょっとした映像作品のように見えてきます。
「ああ、みんな、それぞれの一日を生きているんだな」
そんなことを、改めて思わされます。
街の変化に、毎回出遅れる
少し離れた場所へ行くと、
必ずと言っていいほど、こう思います。
「あれ?
ここ、前は何があったんだっけ……?」
空き地ができていたり、
建物が消えていたり。
街はちゃんと動いているのに、
私の記憶だけが、少し前で止まっている。
そのズレに、ひとりで小さく驚きます。
生き物が、やたらと可愛く見える
散歩中に見かける雀。
沢端川のあたりを歩くハクセキレイ。
時には、足元を急いで横切るダンゴムシ。
最近、彼らが異常に可愛いのです。
何か特別なことをしているわけでもないのに、
一生懸命生きている姿を見るだけで、
気持ちがふっと緩みます。
どうやら私は、
人より先に、野生と仲良くなってしまったようです。
小学生に、謎の親心が湧く
朝、ひとりで学校へ向かう小学生低学年を見ると、
なぜか心配になります。
「ちゃんと前を見て歩いてるかな」
「転ばないかな」
心の中で、勝手に見守っています。
一瞬、
「危ないから、学校まで付き添いたい」
という衝動が湧くこともありますが、
もちろん実行はしません。
今のご時世、即アウトです。
人混みに疲れつつ、少し安心する
電車や賑やかな場所に行くと、正直、疲れます。
音も多いし、人も多い。
でも同時に、
「自分も、この社会の片隅にはいるんだな」
という感覚も、確かにあります。
それは、とても緩やかで、
ほんの一瞬の安心感です。
外出は、私にとっての小さな儀式
どれも、取るに足らない話かもしれません。
でも、こうした小さな気づきが、
ほぼ引きこもりの生活に、確かなリズムを与えてくれています。
外に出て、空気を吸い、
街の音を聞き、人や生き物を眺める。
それだけで、
「今日もちゃんと一日が動いたな」
と思えるのです。
私にとって外出は、
運動でも、義務でもなく、
心と体を整えるための小さな儀式なのかもしれません。


