皆さん、こんにちは。雅栄(がえい)です。
このブログでは、日々の出来事や目標、そして内面の変化について、さまざまなお話をしてきました。今日は、私のようなアラ還独身男が考える「幸福」について——そして、どんなに困難な状況でも「良き人生を信じる」ことの力について、これまでの経験を踏まえてお話しします。
「幸福」とは何か? ~私のシンプルな答え~
「幸福とは何か」と問われたら、皆さんはどう答えるでしょうか。お金、地位、家族、健康……人それぞれ、さまざまな答えがあると思います。けれど、私のようなアラ還独身男にとっては、とてもシンプルです。
それは、「明日を生きる気力」があること。そして、「楽しみにしている何かがある」ことです。
これまでの人生、本当にいろいろなことがありました。最初の会社を「夜逃げ」同然で辞め、心身ともにどん底に落ちた経験。人見知りでコミュ障の自分が、なぜか営業や研修講師という、人と深く関わる仕事を選び、苦労しながらも続けてきたこと。
それでも、私は今日まで生きてこられました。どんなに辛い状況でも、心のどこかで「きっと良くなる」「この経験には意味がある」と信じる——そんな「良き人生を信じる」力が、いつも私の中にあったからだと感じています。
「世の中は不思議なことだらけ」が教えてくれたこと
前回の記事で、私の人生における不思議な体験をいくつかご紹介しました。人生のどん底で出会ったキャンディ少女との出来事。あるいは、会社から逃げ出そうとした夜、私をそっと正しい道へ導いてくれた、二人の不思議なホテルマンとの出来事。いずれも科学では説明できませんが、確かに私の心に深く刻まれ、「困ったときこそ救いがある」「世の中は不思議なことだらけ」という人生観を形づくってくれました。
こうした経験は、私に「見えない力」や「ご縁」の存在を信じさせてくれました。決してスピリチュアルに傾倒しているわけではありません。それでも、「見えない世界」の存在を意識することで、困難なときでも「きっと状況は好転するはずだ」と、前向きな気持ちを保てるようになったのです。
日常の「小さな楽しみ」が織りなす幸福
私の「良き人生を信じる」力は、日々の「小さな楽しみ」によっても支えられています。
たとえば、この「ほぼ引きこもり」な暮らし。人見知りの私にとって、煩わしい人間関係から解放され、自分のペースで時間をデザインできる今の環境は、まさにストレスフリーな幸福です。母の手料理に舌鼓を打ち、ときには一人で散歩に出かけ、そしてこのブログを書くためにAIと対話する。
ブログを書きながら自分の過去を掘り下げ、客観的に見つめ直す時間は、自己肯定感を高め、私自身の「生き様」を肯定することにつながっています。「私はこんな面白い人生を歩んできたな」「わりとユニークな考え方をしているな」——そう感じるたびに、心が満たされていくのです。
月10万円というブログ収益の目標、合同会社の設立、そして還暦リタイア。こうした具体的な目標もまた、私にとっての「楽しみ」であり、明日を生きる気力を与えてくれます。人生に明確な方向性が生まれ、日々の努力が意味あるものに感じられるのです。
今を生き抜く「終活」という幸福論
私にとっての「終活」は、人生の終わりから逆算して、今を精一杯生き抜くことです。未来への不安がまったくないわけではありません。それでも、どんな状況でも「良き人生」を信じ、日々の小さな幸福を大切にしながら、前を向いて歩み続ける。それが、私のようなアラ還独身男の「幸福論」であり、「生き様」なのだと考えています。
それでは、また次回の記事で。
