夜逃げ経験と、三百万円の授業料――アラ還男のどん底帰還記

お金・将来設計
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こんにちは。
「アラ還個人事業主のほぼ引きこもり日記」の雅栄(がえい)です。

今日は、人生のアルバムの中でも、できれば閉じておきたいページを開こうと思います。

若かりしサラリーマン時代。
都会のネオンに目を細め、身の丈より大きな夢と浪費を抱え込み、気がつけば借金は数百万円。

今なら笑えます。
けれど当時は、まったく笑えませんでした。

■ 都会は、優しくて残酷だった

初めての上京。
初めての一人暮らし。

自由という言葉は、当時の私にとって魔法でした。

給料日になると、財布が少しだけ偉くなった気がして、気前よく使いました。
遊びにも、見栄にも、そして女性との交際にも。

気づいたときには、借金の数字が、まるで他人事のように膨らんでいました。

仕事もうまくいかず、焦りは酒で薄め、自己嫌悪はさらに酒で流す。
夜、天井を見つめながら「明日が来なければ楽だろうな」と思ったこともあります。

教科書通りのどん底。
あれは、なかなか居心地の悪い場所でした。

■ 夜逃げという、情けない選択

追い詰められた私は、ついに逃げました。

いわゆる「夜逃げ」です。
映画の中では少しドラマチックですが、実際はただの情けない男の荷造りでした。

会社にも、家族にも、弟や妹にも、ずいぶん心配をかけました。

ところが、待っていたのは冷たい視線ではなく、思いがけない温かさでした。

「もう一度やってみなさい」と、再出発の切符を差し出してくれたのです。

あのときのありがたさは、今も胸の奥にあります。

私はその場で誓いました。
親を泣かせるような借金は、二度としないと。

(もっとも、転職した二社目でも“プチ昼逃げ”のような真似をしてしまったのですが……。それでも救ってくれた人がいました。今もその会社と仕事で繋がっているのは、私なりの小さな恩返しです)

■ 月に数万円という希望

三百万円の借金返済は長い道のりでした。

まずは金利の高い分を親に助けてもらい、そこからは地道な返済。
月に数万円しか返せない時期もありました。

残高の数字は、なかなか減りません。

それでも、「今月も返せた」という事実が、じんわりと自信を戻してくれました。

借金を減らす作業は、崩れた自分を立て直す作業でもあったのだと思います。

少しずつ、ほんの少しずつ。
数字が減るのと同じだけ、心の重さも軽くなっていきました。

🔑 完済の日の空

完済した日、私は大げさなことは言いませんでした。

ただ、深く息を吐きました。

「やっと終わった」

その一言だけで十分でした。

空の色が違って見えたのは、気のせいではなかったと思います。

今でも分割払いを使うことはあります。
けれど、あの頃の無計画さとは違います。

一円の重みを、身をもって知ったからです。

「こんな私でも、何とか今日も生きている。」

三百万円の授業料は、正直に言えば高すぎました。
けれど、その代わりに「人の恩」と「計画性」という財産をもらいました。

どん底は、できれば二度と行きたくありません。
けれど、あの場所を知っているからこそ、今の静かな生活が、少しだけありがたく感じられるのです。

通帳を眺めながら、私は時々思います。

あの情けない経験も、まあ、悪くはなかったな、と。

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