かつて「給料泥棒」と自嘲した私が、59歳で「会社の社長」という看板を掲げる矛盾

ビジネス・起業
ブログランキング・にほんブログ村へ PVアクセスランキング にほんブログ村

こんにちは。
優しい光が差し込む部屋で、自分の心の内にある、少し不器用な感情をそっと見つめている、雅栄(がえい)です。

前回の記事では、私の独り仕事を支えてくれるYouTubeの「専属DJ」と、心地よい音の世界についてお話ししました。お読みいただき、ありがとうございます。

さて、今日は再び、私が人生の最終盤で挑もうとしている「合同会社設立」というテーマに戻ります。今回は、その挑戦の裏側で、私が日々向き合っている「少し複雑な心の動き」について、嘘偽りなくお話しさせてください。

「社長になる」ということ。 この響きに対して、58歳であり、そしてかつて組織で「給料泥棒」だった自覚を持つ私が、いま、一体どんなことを思っているのか――。

自己肯定感の底で生きていた私が、最高峰の肩書きを名乗る不条理

前にも少し告白しましたが、私は25年間の会社員時代、自分の生み出す成果と会社からいただく給与の額が見合っていないという、強い罪悪感を抱えていました。 会議の席では気の利いた発言もできず、社内での立ち位置も曖昧。当時の私の自己肯定感は、お世辞にも高いとは言えない状態でした。

そんな人間が、いま、まさか「会社の代表社員、つまり社長になる!」と考え、動き出している。客観的に見れば、なんとも矛盾した、身の程知らずな話に見えるかもしれません。

正直なところ、この「社長」という言葉の響きには、いまだに強烈な居心地の悪さを感じています。 だって、世間の言う「社長」とは、もっとバリバリと最前線でビジネスを回し、部下を力強く牽引し、壮大なビジョンを掲げて会社をグングン成長させる――そんなエネルギッシュなカリスマのはずだからです。

「私のような人間に、そんな大役が務まるのだろうか?」という静かな不安は、いまも私の胸の内に、澱(おり)のように存在しています。

誰のためでもない、過去の頼りなかった「彼」へのリベンジ

では、なぜそんな抵抗や恐怖を感じながらも、私はあえて「社長」という看板を掲げようとしているのか。

理由は、ふたつあります。 ひとつは、前回の「名ばかり個人事業主」の話にも通じますが、守られた温室を飛び出し、本当の意味で自分の足で事業を営むためです。下請けや業務委託ではなく、対等なビジネスパートナーとして社会と対峙するには、法的な後ろ盾がある「会社」という器が、やはり一番しっくりくるのです。

そしてもうひとつ。こちらの方が、私の本音かもしれません。 それは、かつて組織のなかで肩身の狭い思いをし、自信を失っていた「過去の自分」への、ささやかなリベンジなのです。

「給料泥棒だと自分を責めていたお前でも、自分の会社を立ち上げられるんだぞ」 「小さくても、誰の傘にも入らず、自分の力で舵を握って進むことができるんだぞ」

そう、あの頃の頼りなかった自分に、今の私が手を差し伸べ、語りかけるような気持ちがどこかにあるのです。 もちろん、何十人も社員を雇うような野望はありません。細々とであっても、自分が心から納得できる範囲で、丁寧に事業を継続できれば、それで十分。私の目指す会社は、社会的な拡大ではなく、私自身の「生き方の証明」なのです。

不安も葛藤もすべて引き連れて、荒波へ

「社長になる」ことは、私にとって単なる法的な手続きや、見栄のための肩書きではありません。 それは、長年の夢を現実のものにするための最終形態であり、同時に、自己肯定感の低かった過去の自分を乗り越え、本当の意味で自分を許すためのステップ(階段)でもあるのです。

不安がないと言えば、真っ赤な嘘になります。相変わらず新規顧客開拓という重い課題は目の前に横たわっていますし、失敗への恐怖もあります。しかし、この不安や葛藤、居心地の悪さも含めて、これから私が「代表社員」として歩むべき道なのだと、今は静かに覚悟を決めています。

この選択が、私のこれからの人生にどんな意味をもたらすのか。これから会社設立までの1年1ヶ月、そのリアルな心の揺れ動きを、このブログで包み隠さず綴っていきます。

次回は、ガラリとテーマを変えまして、私が4年2ヶ月にわたって継続している「断酒」についてお話ししたいと思います。お酒を手放したことで、アラ還の私の目にどんな世界が飛び込んできたのか。

さて、皆さんの人生の中で、過去の自分を乗り越えるために「あえて居心地の悪い一歩」を踏み出した経験はありますか?

タイトルとURLをコピーしました